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【父の日のプレゼント】「私もあんたの真似をしてこんな生き方してみるよ」的父親(私)の決心

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※今日のこの記事を私の母親と兄弟と妻と子どもと今は亡き私の父親に捧ぐ

 

今日いつもの通り朝5時にRadikoをつけると、徳光和夫さんが「明日は父の日です!」と言ってかぐや姫の「うちのお父さん」を流していた。 

 

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そうか明日は父の日かと思いつつ自分の父親のことに思いを馳せた。私の父親は50歳でその短い生涯に幕を閉じた。文字通り太く短い人生だった。

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周囲には「酒の飲み過ぎが原因だった」とも言われたし、「家族のために働きすぎた」というような残されたものには何とも言えないキツイ言われ方もした。でもただ一つだけ声を大にして言えることは「私は私の父親の子どもに生まれて良かった」ということだ。もう少し父親には長生きして欲しかったし、私の妻や子どもを見て欲しかったという切実な思いもあるがそれもまた人生だから諦めるほかない。

 

私の父親は小柄で地味で無口な人だった。仕事人間で仕事が趣味のような人だった。お世辞なんか誰に対しても言ったことがないし、綺麗事も聞いたことがない。息子(私)がこんな薄っぺらい人間になってしまったことを雲の上で嘆いていないかと心配するくらい愚直な人だった。そんな父親と18年間一緒に過ごしたかけがえのない、徐々に忘れ去ることが無性に恐ろしい記憶の1シーン1シーンを丁寧に思い出しながら、自分の父親としての生き方を今日は考えてみたいと思う。

 

今の自分の父親としての生き方は、私の父親がまぎれもなく教科書であり、知らず知らずのうちに真似をしてしまっているところが多々ある。今後も引き続き、できるだけ父親の生き様を踏襲していくこと決意して、その決心を父の日の記念としてこの記事に残しておきたいと考えている。

 

 

 

家族サービスに「してやってる感」を出さない

私の父親は本当によく家族サービスをやってくれた。北は北海道から南は鹿児島までほぼ行っていない都道府県がないほどいろんなところに連れて行ってくれた。夏休みや正月だけでなく、月から金まで懸命に働いて土日で一泊旅行に行ってまた月から働くみたいなことを頻繁にやってくれた。美味しいものもふんだんに食べさせてくれた。今私が少しは食べ物の味がわかるのもそのおかげだと思っている。でも私の父親はそのことに義務感のようなものは一切出さなかった。無口だが父親が家族と過ごす時間や空間を一番楽しんでいたし誰よりも楽しみにしていた。「家族サービス」という言い方すら「してやっている感」が出ていて私の父親がやったこととは該当しないかもしれない。父親のささやかなストレス発散になっていたのだろうし、私たち家族も楽しくて仕方ない、ひとつひとつ忘れることのできない珠玉のような時間だった。
 
私もあんたの真似をして今日までも明日からも家族サービスに「してやっている感」を出さないように自分が家族との時間を自ら一番楽しむようにするよ。 
 

家族を愛することを照れない

私の父親は家族をまさに無償の愛で愛した。私の母親も3人の子どもも例外なく愛した。贅沢な姉のすべてのワガママを手放しに受け入れていたし、父親にとっては遅い子どもだった私と歳の離れた弟は目に入れても痛くないほど溺愛していた。母親のことは人前で照れることなく「お前は最高だ!」と褒めちぎっていたし、私のことは「トンビが鷹を生んだ」くらいのことを言って周りにひかれていた。何を言ってるんだ、あんたの方がよっぽど鷹だよまったく。周りはあんたのことを「少し家族を溺愛し過ぎている」くらいのことを言っていたんだぜ。少しくらいは照れてくれよ。
 
私もあんたの真似をして今日までも明日からも家族を愛することに絶対に照れないようにするよ。 
 

暴力は絶対にふるわない

私の父親は絶対に暴力を振るわなかった。多分。おそらく。少なくとも私の目の前では一度も振るわなかった。父親は幼少の頃はガキ大将だったそうなので喧嘩早いし、気がとても短くて強かったので一度くらい暴力を振るっている記憶があっても不思議でないが一度も誰に対しても手を出すことはなかった。暴力は相手を肉体的かつ精神的に傷つけるし、それを見ている子どもにも深い傷を残す。そんな経験が皆無の私たちは幸せだった。
 
私もあんたの真似をして今日からも明日からも暴力は絶対にふるわないようにするよ。
  

子どもを沈黙で躾ける

私の父親は子どもを口やかましく躾けることはほぼなかった。姉が今の旦那と恋愛中に朝帰りして翌日しれっとして帰ってきても笑って迎えた。母親はブツブツ言って「なんか言ってよ!」と騒いでいたが父親は一言も言わなかった。私が大学受験現役の時に大学を落ちて合格発表日に大学から帰ってきたときも一言も何も言わず豪華な寿司を取って夜遅くまで酒も飲まずに待っていてくれた。その日父親が会社の昼休みに電話の前で1時間無言でうれしい知らせの電話が入るのをひたすら飯も食わずに待っていたことを後で会社の人から聞いて悔しくて泣けた。号泣した。弟は早くに父親を亡くしたのでこんな経験しているかちょっと心配だが多分同じような愛情で短い時間だが躾られていると思いたい。私の父親はそれでいて威厳があったのだからそこが私と違うところだよなあ。
 
私もあんたの真似をして今日までも明日からもできるだけ沈黙で行動で子どもを躾けるよ。
 

周りの人になぜか一目置かれる

私の父親は少し手前味噌だが多くの人に尊敬されていたというか一目置かれていた。父親の兄弟は口を揃えてうちの父親のことを一番気が強く、頼りになり9人兄弟の大家族を動乱の時代に孤軍奮闘で守ったと懐かしんでいたし、会社の社員(小さな会社を経営していた)は「あんたの親父には敵わない」とよく言っていた。私は父親と同じ床屋に行っていたがそこのマスターが小学生の私に「お前の親父はすげーよな」とよく言ってくれた。小柄で地味で無口な私の父親がなぜ一目置かれたのかは今だによくわからないが、そんな周りの人の言葉が小学生の私には(お世辞半分とはいえ)飛び上がりたいほど嬉しかった。飛び上がりはしなかったけれど。
 
私もあんたの真似をして今日までも明日からもできるだけ周りの人に一目置かれるような生き方をするように頑張るよ。 
 

酒を飲みながら自己満足の会話を延々とする

私の父親は酒を飲みながら人と話すことが大好きだった。おそらく仕事以外で唯一の趣味だったのではないだろうか。そのために寿命を縮めてしまったとも言えなくもないがとにかく酒豪だった。お酒を飲むと普段無口な父親は饒舌になった。話すことは大部分我が家族の自慢話だった。他人は聞いていておそらく退屈だったのではないだろうか。社員の人に「社長は子どもの話をしていれば機嫌が良いですね」とよくからかわれていた。我が家は二階建てっだたのだが、私が二階で勉強していると父親が酒に酔って母親と話している声が二階まで聞こえてきた。(両親は私に聞こえていたことは知らないと思う。)そこでよく私のことを褒めていた。「ワシにはもったいない子だ」みたいなことをよく言っていた。あんたは親バカだよまったく。それを聴いて私はよく自室で勉強しながら嬉し泣きしていた。
 
私もあんたの真似をして今日までも明日からも体を壊さない程度に酒を飲み、酔っ払って延々と自己満足の会話をし続けたいよ。
 

人の陰口を絶対に叩かなかった

私の父親は人の陰口は絶対に叩かなかった。逆に敢えて陰では人のことを褒めていた。逆に面と向かうと正直に自分の思いを遠慮なく相手にぶつけてしまう癖が多少あった。私の父親は9人兄弟で、正月には9家族が集まって大人数でよく酒盛りをしていた。日頃陰では褒めている兄弟たちのことをたまに歯に衣着せぬダメ出しをして喧嘩になっていた。あんたは正直過ぎるよ。今考えると古き良き時代の光景だがその時は見ていて少しハラハラした。私の父親の兄弟も父親のことをリスペクトしてそうだったし、父親の小言も兄弟を愛しその身を案じて言っていることをみんなわかっていたので最終的には理解し合うのだが、「敢えて言わなくても良いのに」みたいなことで始まった兄弟喧嘩は一度や二度ではないはずだ。あんなに陰では褒めてるのにね...無論社員の方の悪口も聞いたことはない。
 
私もあんたの真似をして今日までも明日からも人の陰口は絶対に叩かないようにするよ。
 

長生きをする

私の父親は短命だった。「太く短く生きる」を実行してしまった。事実よく働いてよく稼いだ。泣き言なんか絶対に言わないし、愚痴も言わなかった。会社を経営する上において、お金や社員のことで苦労があったことは想像に難く無い。でも子ども達を不安にさせるような素振りは皆無だった。(母親は苦労したと思う)そんな気丈な態度でストレスを溜めちゃったのかもしれない。お酒飲むしかなかったのかもしれない。今なら男同士で杯をくみ交わし、あんたの弱音や強がりを聞いてあげられたかもしれないのに。本当に残念でならない。私はこの点だけはあんたの真似をしないことにするよ。私や私の母親や私の兄弟のような辛いおもいを私の妻と子どもにさせないために、あんたより一日でも長く生きてやるよ。でもいつの日かそっちで再会した時は私の最愛の妻と子どもの写真をスマホで見せるからボロボロ泣かないでくれよ。
 
なんか私まで泣けてきたので今日のところはこの辺で...
 
★父親のこと少し
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最後に母へ
親父の死後私たちを育てるために苦労かけました。こんなこと初めて言ったし、ブログで言うのもどうかと思うけど感謝してます。今日のこの記事を仏壇の前で親父にも読んでやって欲しい。父の日のプレゼントとして、キリンビールの大瓶とロングピースも忘れないように。